この前の某新聞に、NZ地震を取材した記者の体験記が掲載されていた。
北陸の民が外国でこれほどまでに亡くなるという前代未聞の状況を考えれば、
記者が経緯を振り返る意義はあるように思うが、一読して、いらだちが抑えられない。

テーマは「メディアスクラムの是非」。今回の取材でも、相当家族をつけ回したんだし、問題になるのも分かるが、結局、メディア側がどうこの問題を語ろうが、言い訳にしかならないのは火を見るよりも明らかなのに、なんの屈託もなく、いけしゃーしゃーと記事にするこの態度は、問題だと思う。
記事の内容については、著作権的に面倒なので、引用はしない。
取材に行って、家族を追い回す内に疑問が沸いて、自問自答していろいろあって、でも伝えることに意義があると結論づけるといういつものパターンである。

メディア側がメディアスクラムを考えたところで、つまるところは「報道に意味はある」という答えにしかならない。
みんな分かってるはずだ、メディアスクラムなんかやってまで伝えるニュースなんてどこにもないことを。
報道の自由とか、知る権利うんぬんとか、ただの建前でしかないってことを。

みんな、他社に抜かれたらいやだという競争意識しかないって、ちゃんと認めろよ。
所詮は仕事。メシのタネ。でも、俺はそれでいいと思う。これが俺の仕事なんだ、会社ってのはいやなこともやらねばならんのだ。

こっち側の俺がいうのも何だが、あんまり家族とかの記事をおもしろいと思ったことがない。
みんなはこういうのが、事件の重さを伝えるんだっていうけど、
なんか、お涙頂戴ってのが見え見えで、事故や事件の重さなんて全然伝わらないからだ。
病気でも、事故でも、事件でも、死んだ人には家族がいて、友人がいて、人生がある。地震で死のうが、病気で死のうが、人に殺されようが、理不尽は理不尽で、悲しむ人がいて、残された人もいる。なのに、病死は新聞には載らず、家族の様子も取材しない。それはニュース価値がないから。
そんなのは、俺でも知っている。意味がないと分かっていようが、それが仕事だから、するしかない。
もっと潔くなれよ、悪いと本気で思ってるなら、取材やめればいいじゃん。
思ってないなら、周りがあおるからやらねばならんのですと言えばいい。

さも、反省するように自己弁護を展開し続ける方が、よっぽどタチが悪いと自覚してほしい。