勝手にしやがれ

この前、ブログのほうで朝鮮系アメリカ人の票稼ぎのために出した(ように思える)慰安婦決議に対して、「原爆の被害団体から票を取るために、「米国は日本に謝れ」という決議を可決したら米国はどう思うだろうか」と書いていたのだが、何か似たような状況になってなかなか面白い。


小沢氏の頭の中には当然慰安婦決議への対抗意識などもあるだろうが、それ以上に参院選を睨んだ票稼ぎのようにしか俺には思えない。

第一、米国が謝罪するわけなど当然無い。小沢氏ならそのことも当然理解したうえでポーズとして言っているわけだ。

しかし、これに乗っかるようなやつなどいるのかね?
いたらそれこそ笑いもんだぞ。


しかしまぁ、久間防衛大臣の一連の失言もほんとに感情的になりすぎだろ。何か国家の一大事みたいな反応が多くねぇか?

そりゃ確かに、日本の国民感情を考えればPC的に相当の失言だとは思うが、そういう見方もできなくは無い。
心で思っていても、口では言わないことができることが政治家の大事な条件だとしたら、それは解任したほうがいいとも思う。

ただし、「原爆はしょうがない」という発言に対してそこまでヒステリックになることも無いかなと思う。
もちろん、「しょうがない」わけはない…というか、たとえ戦争をとめるために原爆が落とされたのだとしても、戦争を止めることと原爆を落とされることを天秤にかけたときにどちらが重くなるかを考えなくてはいけない。
原爆を落とされるくらいなら、戦争が続いてソ連に北海道を取られたほうがましだったのかもしれない。

しかし実際には原爆が落とされ、戦争が終わり、ソ連の侵攻は起こらなかった。
そのかわりに広島と長崎には回復不能になるほどの傷(もちろん、物理的な話をしているわけではない)が残った。
この傷は決して「しょうがない」ものではない。それは当たり前だ。
しかし、米国の選択肢として原爆があったのは事実で、それは「しょうがない」という以外どう表現すればいいのだろうか?
あのとき、アメリカに原爆以外の選択肢は確かにあっただろう。それでも選んでしまったのは「しょうがない」ことだろう。

ただし、「しょうがない」からという理由で原爆投下に対する道義的責任が免れることなどあってはならないし、俺は米国が正しいなんて絶対に思えない。
ただ、それでも結果論的、状況論的に言えば「しょうがない」としか言いようの無い「現在」が存在していることもまた事実ではないのか。

「しょうがない」=「間違っていない」という図式になるわけではないことが理解できるのなら、この発言もPC的な是非はともかく、それほど大騒ぎすることでもないのではなかろうか。