現代最強のトリックスター
私が考え方のスタンスにおいて一番影響を受けている評論家に呉智英という人がいる。
呉氏についてはこちらを見ていただきたい。
呉智英は(自称)封建主義者で、民主主義そしてそのバックボーンである人権思想を「単なるイデオロギーでしかない」と断言している。
この際における「封建主義者」という立位置は、当然民主主義を相対的に見るため、パラダイムの中からはパラダイムの欠点をみることはできないという論理から生み出されたもので、プロレス的にいえば「ギミック」といって差し支えないだろう*1。
「人権などというものは信号みたいなもの」という表現をするが、つまりは日常の生活においては人々が信じたほうが都合のいい取り決めといったぐらいのこと。つまり人々が一応信じたほうがいいフィクションとしてしかありえないという認識である。
高校時代にこの人の本を読んで、私は目からウロコだったよ。
こんな話をすると若干読みにくそうと思うかもしれない。しかし案ずる事なかれ、呉氏の本はとてもわかりやすく、そしてユーモアにあふれている。ほんとに読んでて面白いんだよなぁ。
ただし、先にも言ったように、呉氏の本意はおそらく民主主義や人権主義の完全否定にはない。だからトリックスターなのだ。本人自身、実定法上の用語としての「人権」は認めている。つまり人権も単なるイデオロギーだという認識を持たないかぎり、言論空間の進展はないし、そんなことにも気づけないような知識人はアホといっているだけである。
常識を、良識を疑い相対化することこそ時代の先を見つめる知識人の仕事であり、それを一般人に伝えるときには極論を用いわかりやすくするという戦術的要素を呉氏からは読み解くことができるだろう。
とりあえず、呉智英に一度触れてほしい。もっと評価されるべき人間であると思う。
ひとつ付け加えるが、「民主主義、人権思想はフィクションだ」という意見は一部のインテリにとっては自明のことである。上の人間はみなが信じるべきフィクションを利用して支配・管理を進める。宮台真司氏が最近やたらと述べているフィールグッド・プログラムも突き詰めれば、支配層は確実に民主主義を利用して民主主義っぽい管理社会を作ろうとしているということになるだろう。
呉氏は大衆を嫌うが、それももしかすると本心ではなく、人々がフィールグッドや戦前の天皇機関説のようなこと*2にならないように私たち凡人に伝えているのかもしれない。