ファスト風土は文化の「敗北」なのか?

ファスト風土」に関してですが、僕の実感では意外にみんな知らないもんだなぁと思う。ファスト風土についてはおそらくはてなキーワードでリンクされるはずなので、そこを見てくれればいいのですが、簡単にいえば地方や郊外ではジャスコみたいな大型ショッピングセンターやシネコン、ファミレス、コンビニ、パチンコ屋なんかができて、どこの風景も同じになってその地域の固有性が無くなっていくみたいな話です。
さて、このファスト風土化によって固有の地域性が無くなっていくということは果たして不幸なのかと考えたときに、僕は必ずしもそうでもないと思う。この前読んだ「PLANETS」っていうミニコミ誌とか東浩紀とかでも言ってるけど、やっぱり何も無い地方の人間にとっては唯一の娯楽施設だったりするし、なにより便利なわけですよ。ただ、便利とか楽しさの代わりにその土地の地域性なり共同体文化を壊しちゃっていいのかっていう反論が出そうなんですけど、うーん、そもそも俺がガキだったころからそんなもんはほとんどなかったわけで、いまさらなくなったところで特に何の感慨も無いよなぁって言うのが実感だわ。だって近所付き合いも一応はあったけど別に深いものでもなかったし、もとから僕のいたところは新興住宅地だったわけで、そんなところに固有の地域性なんかないわけですよ。お祭りとかも「イベント」としてはあるけれど、民俗学的な歴史性に裏打ちされた「ハレ」みたいな意味は全然ないわけですよ。それからもっと広い範囲で考えてみると「温泉地」という観光名所としての固有性はどれだけファスト風土化が進んでも決してなくなりはしない。今の世の中「固有の地域性」なんてものは戦後から始まる都市開発のおかげでほとんどないような気がする。要は都市開発で文化的な更地だったところにジャスコなりツタヤなりがやってきてるわけで、決してファスト風土化によってこわされたわけでもない。だったらより便利なほうに流れていくのも自然な話ではないだろうか。
最近のシモキタの再開発問題なんかも似たような話で、要は文化的に更地だった下北沢に理由はわからないけれども「サブカルの街」という属性がついたわけで、思い入れの無い人にとっては、そんなもん歴史的なもんでもなんでもなくジャスコと同列に語られるべきものなはず。だから、ファスト風土化への反対という観点からは下北の再開発は反対できるとは思えない。その属性を残そうと思えば、「観光地」的なやり方で残せるものだと思う。別に開発が進もうと、そもそもジャスコ的なものなのだから、きっと順応できるはずである。
でまぁ、見出しの結論から言えば、ファスト風土は東先生のいう「人間工学」的な意味では決して敗北ではないし、文化的な意味でも善良な市民さんの言うように「下妻物語」や「木更津キャッツアイ」ではファスト風土化における共同体のあり方も示されているわけで、今更回避できないような問題に対して、昔はよかったなぁというノスタルジーよりも、その中でどう生きていくかというほうがやはり大事なんだと思う。そこには新しい可能性があるかもしれないし、それ次第では、きっと敗北ではないと思う。