あたしはだあれ?

最近ブログを書きながら思うことに「一人称」の問題がある。
「僕」「ぼく」「俺」「私」「あたし」「あたい」と読み返してみるといろいろあるのだけど、実際のところ全部無意識のうちに一人称を決めているので、自分でもどうしてこう使い分けるのかはよくわからない。
まぁ、「ぼく」というのは明らかに大塚英志を意識して使っているし、「あたし」とか「あたい」も当然冗談としてしか使用しないのでどうでもいいが、「俺」「僕」「私」の使い分けに関しては色々と議論の余地があるように思う。
「俺」「僕」というのはもちろん私的な話につかうのだが、ならば一般的な意味での日記である「ルサンチマン・ブルース」でのみ使われるべきで、一応は批評のつもりで書いているこっちのブログは「私」でなくてはならないはずだ。しかしながら、実際にはこっちのブログにも「俺」「僕」という語は相当出てくる。
「僕」という語はもちろん公的な文書には適さない。大学のレポートに「僕」なんて書くチャレンジャ−はそうはいないだろう。ただ、会話においては「僕」という言葉は一応公的なものとして受け入れられるわけで、個人的にも教授なんかと話すときには「僕」という言葉をよく使っている。
さて翻ってブログの場合はどうなのだろうか。ブログは文書ではあるが、携帯のメールと同じようにある程度口語的な要素もある。従って口語では公的な性格をもつ「僕」という語が使われるのだ。
では「俺」とはどういうことか。それは自分の言葉があくまで私的な思いであることを強調したいときに使われるのではないかと考える。おそらく「俺」で書かれた文章というのは、嘘偽りの無い本心の思いなのではないだろうか。つまり、一人称で無意識のうちに公的と私的を分けていたのである。
まぁ、だから、こっちのブログで「俺」を使ったときは「本音」で「私」を使ったときはパブリックなものとしての「建前」だと認識すればよいのである。
さて、ここまで書いた文章には一人称は全く使われておりません。日本語では主語をいくらでも省略できるのです。では、この文章は本音でしょうか、建前でしょうか。みなさんどう思いますかねぇ。