女と権力、そして報道〜ジャーナリストは只野仁になれるか〜

いやー、すっげー久しぶり。就活中は書きたいけどもあんまり時間がなくてつい日記のほうだけになってしまいますね。

今日も別にそんなにたいしたことではないのですが、ちょっと書きたいことがあるので書いてみます。


今回のお題は「西山事件」です。詳しいことはこちらでも見てください。ちなみに3月27日に判決が出るらしい。
この事件は権力と報道のあり方、取材対象者との距離などジャーナリズムの問題がかなり浮き彫りにされる事象だと思います。僕も以前新聞学科のシンポジウムで西山さんのお話を聞いたことがありますが、どうも西山さんたちジャーナリズム側、国などの権力側、そしてそれを眺める私たち読者の側それぞれでかなり見ているものの違いがあるなぁと感じた記憶があります。

それはこういうことです。


ジャーナリズム側……「密約は確かにあった。国は嘘を国民についている。私たちはそれを報じただけだ」

権力側……「そもそも国家公務員法で機密漏洩は禁じられている。特に西山氏の場合はやり方に問題がある」

読者側……「結局寝たの?いくらなんでもそれはやりすぎ」


まぁ、この問題の一番問題なところは、明らかに国が嘘をついていることに対して国民が何も思わず、ただ「寝たのか?」という下世話な話にばっかり注目してしまうところなんだろうけど、それの次くらいに問題なのは、やっぱり西山氏と女性事務官との間に「情交関係」があってしまったということだと思う。

「国の嘘」を裁判の争点とするならば確実に国の負けなんだけど、「報道者の不義」を争点にされちゃったので西山氏は負けちゃったわけだ。

個人的な感想だと、もちろん明らかに国は嘘をついてるし、そこの責任は取ってしかるべきだと思う。だけど、やっぱりそこで西山氏がすべて正しいとは思えない。

だって、ここで西山氏の行動をすべて容認しちゃったら、「情報を得るためなら夫のいる妻と寝てもいい」ってなっちゃわないか?たとえ、寝たのが情報うんぬんじゃなくて心からの愛情ゆえだったとしても、やはり道徳としてそれはまずくないかと僕は思う。結果的には本当に好きな人が情報をくれたということなのかもしれないけど、やはりそこには自制が必要だったはず。
警察だって違法に得た品とかは証拠にできないんだろ、確か。だったら報道にだってきちんとした縛りは必要なんだよ。

「国の嘘」と「報道の不義」どちらが優先されるべきなのかは僕には断言できない。ジャーナリズム側は前者を、読者はは後者を優先して事件を捉えてしまった。そこには権力側の操作なんかもあったのかもしれない。一番得をしたのは権力だし、西山さんが文句を言う気持ちはまぁわかる。

しかし、ここで「言論の自由のためならなんでもやっていいです」と宣言していいものなのかどうなのか。
ジャーナリストがゴルゴとか只野みたいでもいいってんなら、それでもいいんだろうけどさ。

僕があこがれたジャーナリストって仕事はそういうんじゃないんだよなぁ。

多分、この話をうちの先生にすると、相当怒られるんだろうなぁ。

まぁ、今日の話は本当に二人の間に関係が確実にあったと仮定してのものだからそこには注意してね。