現代プロレスの可能性についての試論

本当にお久しぶりです。

更新が途絶えた理由は様々ですが、もうそれはそれとして。

とにかく、これだけは仕上げていかないとと思ってます。
 


とりあえず、今日はこの論の序章として、プロレスにおける<物語>について語っていこう。



さて、読者の皆様はスポーツにおける<物語>と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。
「スポーツに物語なんてない」などという人はそういないだろうが、一応例示をしてみよう。
例えば、野球で言う「江夏の21球*1 などがあり、サッカーで言うならば「ドーハの悲劇*2などが有名といえよう。
これらの物語は「筋としてまとめられる言説」である上に、非常に劇的なものではあるが、決して意図的に作られたものではない。江夏がカーブを使いウエストボールを投げたのも、サッカー日本代表がロスタイムに点を決められたのも、すべては偶然であり、後から振り返った人々が物語のように一連の現象を捉えたに過ぎない。
一般的なスポーツにおいて「物語」というとき、それはこのようなものなのである。

ならばプロレスにおける<物語>もその他のスポーツと同じように偶然的なものなのであろうか。もちろん、それは違う。
こんなことをいうと純粋なプロレスファンは激怒しそうだが、多くの人々が想像するようにプロレスにおける<物語>は作られたものである。
もちろん、スポーツ的な「物語」もあるだろう。偶然に起きてしまう事を私たちは避けることなんてできないからだ。私たちが生きている限り、偶然によって「物語」はいくらでも生まれるものである。
しかしながら、プロレスには人為的に創られた<物語>が存在する。言ってみればそれは筋書きである。スポーツにおいてこのような<物語>の演出は一般的には「八百長」として忌避されるものであるため、いまだにプロレスが八百長であると理解している人々は多いのではないだろうか。しかしながら、プロレスがエンターテイメントとしてあるためには<物語>は欠かせない。プロレスから<物語>を奪ってしまえば、そこに残るのは大男の肉体ショーである。<物語>を演出することで、レスラーの闘いには必然性が生まれ、ファンもより試合に熱中することができる。<物語>の存在によって、プロレスは格闘技やただの見世物との差別化を可能にしたのであり、言ってみれば、<物語>はプロレスをプロレス足らしめる要素だったのである。

プロレスの<物語>は日本にプロレスが生まれた瞬間、つまりは力道山の時代からあり、その流れを受け継いで日本のプロレスは発展していった。しかし、その<物語>に今、大きな変化が訪れている。
それが前進なのか、後退なのか、僕にはよくわからない。しかし、このことについて誰かが語らなければならないようにも思う。だから、僕はやってみる。中途半端な文章になるのはわかりきっているが、それでも「プロレスを語る言葉」を僕は探してみたい。

というわけで、またいつか。

*1:1979年11月4日、大阪球場で行われたプロ野球日本シリーズ第7戦、近鉄バファローズ対広島東洋カープにおける一場面。勝ったほうが日本一という試合で、広島1点リードの9回裏、リリーフエースの江夏豊投手が無死満塁のピンチを招きながらもその後を抑えたこと。後に山際淳司によってノンフィクション小説とされ有名になった。

*2:1993年10月28日、カタールのドーハで行われた日本代表とイラク代表が行った1994年アメリカワールドカップアジア地区最終予選の日本代表最終戦において、試合終了間際のロスタイムにイラク代表チームの同点ゴールが入り、日本の予選敗退が決まったこと。