死刑宣告

この前、新潮新書から出た『新聞社-破綻したビジネスモデル』という本について立教の服部教授が褒めていたので読んでみた。

結論からいえば、ぼくが新聞奨学生2年間と新聞学科3年ちょっとの経験だけでたどり着けた考えをウン十年もかかってやっと発見してる著者*1…というか新聞業界がちょっと悲しくなったかな。
まぁ、ぼくのそもそもの考えとは若干違うのだけれど、大筋の部分での危機感やアイディアに関してはほぼ同じなように思う。

まず、大前提として共通するのが次の二点

「部数至上主義の撤廃」
「分析・解説記事への特化」

どう考えたって日本の新聞は供給過剰になっている。読売の1000万部なんてもちろん虚像で、ぼくのいた販売店だっって残紙だらけだったし、読者のなかにはまったく読まないけど取ってるみたいな人もいた。
「部数=力」っていう認識はもはや当てにならない上に、そもそもみんな新聞なんて読まないってのは誰の目から見ても明らかなのに、いまだに販売店には「とにかく部数を増やせ」という無理難題が押し寄せてきて、しかたないから怪しげな団とかを使わなきゃいけなくなってるわけだ。
まぁ、なんでそこまでして部数にこだわっているのかっていう話は本を読んでみてもらうとして*2、とにかく現在の部数にこだわる方向は捨てて、部数の適正化=商売の成り立つ部数にすることが必要だろう。

そして、二点目としては、発表モノに割く人員の数を減らし、解説・分析・論説などの方向に特化することも必要なように思う。速報を伝えるだけならテレビやネットで十分なのである。新聞が面白いのは、その事件や事象が社会的にどのような背景で起こり、どのような意味を持つのかということを伝えてくれるからである。そしてそこには新聞の持つ取材力や編集力、分析力が必要となっているのである*3。新聞の持つ能力をフルに生かすためには、このシフトチェンジが有効になってくると思う。
速報系、第一報のニュースは共同にまかせればいいのである。

まぁ、このあたりが共通点かなぁと思う。
 
ぼくと著者の大きな違いは、別にぼくは新聞業界全体のことなんてちっとも考えてないということである。
正直言えば、朝日、読売はこのままでいいと思う。河内さんのいうような「毎日・産経・中日」の連合などどう考えても実現可能性は低いし、そもそも朝日・読売へのカウンターとなる第三勢力などあったところであまり意味がないと思うからだ。ぼくは基本的には毎日みたいな棺桶に片足を突っ込んでる新聞社が生き残る術を考えてて上のような結論にたどり着いたが、このような改善案は新聞界全体の構造を変えるような力にはならないように思う。あくまでひとつの会社を生き残らせるためことしかぼくは考えていなかったのだ。

具体的なことをいえば、毎日が今後取りうる策は?部数を適正化し、?全国の支局の規模を縮小する。それと同時に?記事の方向性を変化させ、分析・解説に特化?地方の有力紙と提携し、地方の記事は向こうに任せる。
これぐらいなことだと思う。もちろん経営のスペシャリストを雇い、健全な財務状態をめざすことはいうまでもない。

しかし、この動きはおそらく毎日ぐらいにしか起こらないだろう。中日などのブロック紙は財務状態が健全でこれ以上を望まなければ現状維持ぐらいはできるだろうし、そもそも東京新聞などは特化の方向に紙面を工夫し、かなり面白くなっている。それはおそらくまともにやっても朝日・読売には勝てないからだろうし、その方向を進めていけばいいのである。それからブロック紙で連合している以上、二大紙のカウンターになりたければ、そっちのほうがてっとり早いようにも思う。
産経は後ろにあるフジ・サンケイの圧倒的な力に支えられている限り安泰だろう。ぼくの印象では、産経は勝手になんでもやるのである。夕刊廃止やEXなんかの試みを見る限り、おそらくこれからも独自の方向性を進むだろうし、朝日・読売のカウンターパートになるつもりなど毛頭無いだろう。

それから、やっぱり記者の出だなぁと思ったところとしては、販売店など人のことなどちっとも考えてないという点である。
仮に毎日、中日、産経の三社が提携し、共通の販売網を持つようになったとしたら、おそらく現在の販売店のかなりの数は不要になるだろう。河内氏はそれは社会が吸収できる範囲だと言うが、現在本社に借金までしていうような店主がいきなりほかの仕事をやることなど不可能に近いだろうし、そこにいる従業員も今の時代ではせいぜい契約社員やフリーターになってしまうのが落ちである。新聞奨学生もかなりの数が減るだろうし、ぼくのような学生がやってけなくなることもあるだろう。
それから印刷や輸送の段階でも提携が進めば、印刷工場の従業員やトラックの運ちゃんなども路頭に迷うことになり、それらもまた正社員などほぼ不可能に近いだろう。

こういう点を考えてみると、やはり弱い人たちへの視点が欠けてるなぁということを思わざるをえない。
それから「河内氏のアイデアはどうにかして毎日に業界のヘゲモニーを取らせたいだけという感じを受ける」という批判も否定しきれないだろう。

日本の新聞がアメリカみたいになることが果たしていいことなのかどうなのかはよくわかんないけれども、今後生き残るためには部数を減らしていくことは大事なように思う。
ある意味ではその覚悟をもった新聞は強いだろうし、中身だって面白くなるかもしれない。
 
まだまだ言いたいことはたくさんあるんだけど、時間も無いのでこの辺にします。
最後に、新聞にやれることはまだまだたくさんあると思う。ただ名前が売れているだけで、中身がクソみたいな新聞はぼくは大っ嫌いなので、これから何とかしてあいつらをぶっつぶしていけたらと思う。

*1:河内孝さん・元毎日の役員

*2:本に載っている以外のことをあげるとすれば、単純に1000万部とか800万部っていう数字に対しての見栄みたいなもんがあると思う。「皆読んでる=凄い」みたいな図式を使いたいんだろうが、もはやそれも意味がないんだけどなぁ。

*3:ぼくが東京新聞を推す理由はここにある。ぜひ皆様読んでみてください。